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2024/09/08【PRi愛媛】第1276回「朴庵例会の風光」(第18回)黒瀬英作の夢を語ろうMy Friendは、『詩集・宇宙のまなざし』より!!
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第1276回「朴庵例会の風光」(第18回)黒瀬英作の夢を語ろうMy Friendは、縁に覚りて、恒久平和世界、大宇宙大和楽へと!!
二)『詩集・宇宙のまなざし』より(平成12年厳冬)
真民さん その祈りと願い
坂村真民さんは、毎日午前零時前に起床、未明混沌の霊気の中で打坐(だざ)し、称名(しょうみょう)し、詩作する。3時36分には、屋外に出て「暁天祈願(ぎょうてんきがん)」を行う。その時刻は、野鳥が目覚める平均時刻であり、宇宙の霊気が一番生き生きしている時間だからという。
真民さんは、まず自宅の庭にある朴(ほお)の木の下で祈願する。そして暁天の大地に立って、月のあるときは月に向かい、月のないときは星に向かい、腹いっぱいに光を吸引して祈る。
その最初の言葉は、次のような「三つの祈り」である。
一つ 宇宙の運命を変えるような核戦争が起きませぬように
二つ 世界人類の一致が実現しますように
三つ 生きとし生けるものが平和でありますように
この三つの祈りを唱えたあと、真民さんは、詩縁の人々の平安を祈り、家族の無事を祈り、詩願の成就と月間詩誌『詩国(しこく)』賦算(ふさん)の達成を乞い願う。この暁天祈願は、真民さんが参禅するようになってから始めたもので、長い歴史を持っているが、65歳で教員生活を終えてからは、それに引き続き、近くの重信川の橋を渡って、明星礼拝も行っている。
真民さんは、その著『愛の道しるべ』(柏樹社刊)の中で「祈願という言葉を分析すると、祈はキリスト教的であり、願(がん)は仏教的である」と言っている。
釈尊とイエス・キリストを「二人の導師」と仰ぐ真民さんにとって、「願い」と「祈り」は、その詩のバックボーンをなすもので、それが理解できなければ、真民詩の神髄に触れることはできない。「三つの祈り」の内容は、先にみたように、自分のご利益を真っ先に願う一般人の祈りとは異なっている。
この点について、真民さんの恩師・森信三先生は、次のように言っておられる。「氏の詩業の根底には、氏のふかい大乗仏教への信がこれを支えているということであって、この点はかの宮沢賢治の童話その他の作品が、畢竟じてついに法華経精神の現代における再現であるのと、奇しくも相通じるものがあるのであろう。随ってそこに如何なる素材が扱われていようと、氏の氏の一々の背後に、そのふかき大乗仏教的信を感知しえない人は、いまだ氏の詩集の真価を知るものとはいい難いであろう」(『自選坂村真民詩集』(大東出版社刊)序より)
真民先生の祈りの起源は、少年期に遡(さかのぼ)る。それは、信心深い母親の影響を受けたものである。仏教信徒の家に生まれた真民さんが満八歳の時、父親が喉頭がんで急逝した。それ以後、母親の勧めにより、毎日夜のあけるのを待って、共同井戸の水を汲みに行き、父の「のどぼとけ」にお水をあげ、どん底の生活の中で、父の守護を切願するようになった。それは、中学校を終えるまで続いたという。
玉名中学校(熊本)を卒業して、伊勢の神道系の専門学校・神宮皇学館に学び、多感な青春の日々を伊勢の海や川や山に慰め励まされた。そして母なる神を祭る自然というものを、胸深く知ることができた。
時は茫々(ぼうぼう)と流れ、国はかつてない敗戦の惨苦(さんく)をなめ、真民さんも朝鮮からの引き揚げ者として故郷の九州に帰った。その後、縁があって四国に移り住み、自己をつくるために詩歌の道に入った真民さんは、深い仏縁に恵まれ、新しい詩境が展開していくのである。
しこく渡って七年目の昭和28年3月、後に「大詩母さま」と呼ぶ杉村春苔尼(しゅんたいに)先生にめぐりあった。そのときのことを「このひととの邂逅(かいこう)は、私にとって大回心になった」と自らの年譜(ねんぷ)に書き記すほど、真民さんは変わり、本当の仏の世界を知ることとなる。それは、二度とない人生を自覚させ、人に生きる力を与える詩を書く、新たな決意をさせた。さらに時宗の開祖一遍上人を知るにおよび、すべてを捨てて、大いなるものに己を託して祈るとともに、いろいろな「行(ぎょう)」を積むようになった。
そしてそれが、キリスト教に接近していく機縁(きえん)となって、祈りにおいては最高最大の人と尊敬するキリスト教マクヤの手島郁郎師の接見を受ける。師は、「大いなるもの(神)が、その人を捉(とら)え導き始める経験、それが宗教だ」と説き、「念ずれば花ひらく」は、キリストの「信ずるごとくになる」と同じ意味だとして、この真民さんの真言(真実な言葉)をよく取り上げられた。
念ずれば花ひらく
念ずれば
花ひらく
苦しいとき
母がいつも口にしていた
このことばを
わたしもいつのころからか
となえるようになった
そうしてそのたび
わたしの花がふしぎと
ひとつひとつ
ひらいていった
これは、最もよく知られている真民詩の一つで、代表的な祈りの詩である。この詩は、昭和30年、真民さんが46歳の頃、次のような背景のもとで詠(よ)まれたものである。
真民さんは、「疑えば花ひらかず・・・」という短い言葉を探すため、気が遠くなるほど膨大な『大蔵経(だいぞうきょう)』を三回も読むという猛烈な精進によって失明寸前となった。ご本人の説明によれば、「何の親孝行もできず、こんな体になって母にすまないと思ったとき、生命現象として、私の脊髄(せきずい)の中に入ってきた言葉、体験の世界で生まれた詩であり、追いつめられた中で浮かんできた母の熱願である」という。「念ずれば花ひらく」とは、神仏に誓いを立てて、実行すれば、花は必ずひらくという「断定の祈り」であるという。「念ずれば花ひらく」の花は、植物の花でではなく実践の証という精神的な意味を持ち、「念ずれば花ひらく」とは、神仏に誓いを立てて、実行すれば、花は必ずひらくという「断定の祈り」である。
真民さんの祈りは、一心称名(いっしんしょうみょう)、五体投地(ごたいとうち)、不忘念(ふもうねん)の念唱などの行を行い、衆生無辺請願度(しゅぎょうむへんせいがんど)/人さまを幸せにしてあげることを願うもので、これが、この世に生を受けたもののつとめだという。真民さんは、霊能者ではないけれども、そうした祈願の証として、言霊(ことだま)/言語に宿る神霊の響きを持つ詩句を授かり、そこから人々の心を打つ詩が生まれてくる。
今日も本気で語ります!!
パーソナリティ | 夢を語ろう My Friend【10分番組】 |
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アシスタント | 黒瀬英作さん |
公開日 | 2024/09/08 |
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