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  • 2025/03/03【PRi愛媛】第1292回「朴庵例会の風光」​(第24回)黒瀬英作の夢を語ろうMy Friendは、坂村真民さんの風光!!

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    第1292回「朴庵例会の風光」​(第24回)黒瀬英作の夢を語ろうMy Friendは、坂村真民さんの風光!!




    (真民さんの「詩国」の原点、一遍上人と空也上人に倣いながら読み進めます)
    第二部 坂村真民さんの風光

    [杉村春苔尼の不思議な話]
    ある日、山下さんは坐禅の後、大乗寺の隠寮(いんりょう)に住んでいた不思議な霊力を持った妙齢の婦人のことを話してくれました。
    「杉村春子さんとおっしゃるこのご婦人は、天国から舞い降りてきた天女のような人でした。もともと神戸の貿易商の令嬢で、日本画の師匠は有名な上村松園先生で、婚礼衣装も上村先生が描かれたものだったそうで、そうとう裕福な家庭の人だったようです」
    折に触れて山下さんが話してくれるエピソードに興味津々でした。八幡浜から別府に渡る話は世にも不思議な物語でした。
    「杉村夫人は宇和島市の酒造家の御曹司と結婚されました。しかし、何年か後に『この人はもう私がいなくてもやっていける。私は私のやらなければいけないことに専念したい』と、夫のもとを出て、大乗寺の隠寮に身を隠されました。
    しかし、ご主人は諦めきれません。そこで夫人は剃髪(ていはつ)して出家し、尼僧になることで諦めてもらおうと、八幡浜に急ぎました。別府に渡り、杵築市(きつきし)の養徳寺で剃髪出家しようとされたのです。ところが定期連絡船が出た後に到着したので、万事休すです。杉村夫人が大乗寺から出奔(しゅっぽん)したとわかれば、必ず追手(おって)が来てつれ戻されます。普通の人だったら放心して虚脱状態になるところですが、杉村夫人は動じることなく『観音経』を唱え始めました。すると漁師らしい男の人が近寄ってきて話しかけたのです。
    『お前さんは海を渡りたいんじゃないの?』
    『そうです。一刻も早く。でも、船が出てしまいました』
    『それだったらおれの船に乗りな。これから別府に帰るんだ』
    思いがけない申し出です。船に案内しながら、こんな不思議なことがあったというのです。
    『おれは八幡浜港で積み荷をおろすと、一休みしようと横になったんだ。するとそのまんま寝込んでしまい、夢を見た。夢の中で、『丸窓から外を見ろ。女の人が坐っているのが見えるだろう。その人を乗せて一刻も早く港を出ろ」と言われた。それで目を覚まし、丸窓から外を見ると、お前さんがいたんだよ』
    そこで杉村夫人はその人の船で別府に渡り、養徳寺で剃髪して出家されました。西宮市の海青寺の中原南天棒老師が、出家した名前を春苔(しゅんたい)と付けてくださったそうです」
    山下さんの話は続きました。
    「春苔尼はまだ誰も洋服など着ていない頃から洋服を着て育ったから、センスは抜群です。別府には進駐軍兵士が休暇で大勢やって来ました。将校婦人たちはパーティに着ていくドレスを春苔尼に注文します。そのドレスのデザインのよさ、洋裁技術のすばらしさ、体にぴったりとなじむ着心地のよさなどで評判になりました。
    そこでこれから洋服の時代が来ると判断し、ボンマルセ洋裁研究所を開いて戦争未亡人に洋裁技術を教え、洋服の販売もして経済的自立を助けました。これが評判になり、ボンマルセ洋裁研究所は杉村洋裁学院に発展しました。でも春苔尼自身は慎ましく暮らし、大分県遺族会母子寮の寮母を務めておられます。
    それに春苔尼は霊感にすぐれ、癒しの力を授かっていたので、その能力を駆使して随分多くの人を助けました。足が痛くて歩けない人を治療すると痛みが消え、歩けるようになるのですが、春苔尼がその病気を自分の体に引き受け、しばらく痛みで足を引きずって歩かれました。そのようにしてまで多くの人を癒したので、生き仏のように拝まれました・・」
    山下さんが称えるような人なら、すぐれた人物に違いありません。真民さんはすぐ手紙を書き、それに対して返事が届き、交流が始まりました。こうして、二人の間を手紙が繁く往復するようになりました。


    今日も本気で語ります!!


    パーソナリティ 夢を語ろう My Friend【10分番組】
    アシスタント 黒瀬英作さん
    公開日 2025/03/03
    過去の放送一覧 夢を語ろう My Friend【10分番組】

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