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2025/11/10【笑顔で開運】〜笑顔で世界を救おうプロジェクト〜☆ナビゲーターMADOKAの『笑顔で変わるSELLECTION』☆Sellect.77【川越公開ラジオ 働く女性を支えたい!たむら保育園理事長田村道子さん】#政治経済
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【笑顔で開運浅草局】代表 MADOKA
〜笑顔で世界を満たそうプロジェクト〜
ナビゲーターMADOKAの
『笑顔で変わるSELLECTION』

【Sellect. 77】
【川越公開ラジオ 働く女性を支えたい!たむら保育園理事長田村道子さん】

ゲストさん紹介
【川越公開ラジオ 働く女性を支えたい!】
合同会社コムニス 代表役員
川越市小規模認可園 たむら保育園
理事長 田村道子さん

自己紹介
合同会社コムニス 代表役員
川越市小規模認可園 たむら保育園
理事長 田村道子さん
青森県西津軽郡出身。
洋服店を営む両親の元で
よにん兄弟の3番目として生まれる。
上に兄が2人(内ひとりは青森で教員後校長先生に)
下に妹(美容師)
仕事で忙しかった母親の代わりに
小学生から、夕食を任される。
自宅の一室が洋服を作る作業場で
両親は
毎日ラジオを聴きながら
作業して、近所の自分のお店で
洋服を販売していた。
高校卒業後に千葉県に上京
学校に通いながら、
アルバイトしていた会社で
夫と出会い
20歳で結婚
翌年には長女が生まれる。
出産後実家の青森に
長女を預けて
小学校の教員として
働くが
預かり先が見つかり、
千葉で6ヶ月の長女と
電車とバスに乗り
毎日出勤する。
2人目の長男が生まれ退職
2人をつれて託児所付きの職場で働く
3人目の次女が生まれて
専業主婦になるが、
子供の社会性を育てるには
集団の中で過ごすのも大切と感じて
預けにいった先の保育園で
おかあさんもここで働きませんかと
声をかけられて
働く
自宅で働きたいと思い
一軒家を探し始め
ご縁あって
いまの埼玉県川越市に移住
隣に住む一期生となる子を
預かるところから
保育園の歴史が始まる。

たむら保育園50年の歴史
1976年 4月 『エクスベビーセンター埼玉支部』から独立し
『田村保育室』として川越市山田に開設
1977年 9月 川越市郭町に移転
1978年 7月 川越市指定家庭保育園に認可
定員3名
1979年 4月 定員8名
1980年 4月 定員12名
1981年 9月 川越市六軒町に新築移転
1982年 4月 定員15名
1986年 3月 田村保育室開設10周年記念
“つぼみ”第一号発行(以降毎年3月に発行)
4月 定員18名
1989年 2月 川越市六軒町に『つぼみ保育室』開設
1995年 4月 つぼみ保育室 川越市指定家庭保育室に認可
定員 5名
田村保育室 父母会発足
8月 田村保育室 開設20周年記念の集い
(西部文化会館)
記念誌“つぼみ”特別号発行
1996年 9月 つぼみ保育室 六軒町移転
つぼみ保育室 定員10名
1997年 4月 つぼみ保育園 定員15名
2006年 3月 田村保育園 開設30周年記念の集い(氷川会館)
記念誌“つぼみ”特別号発行
2011年 7月 めだか保育園 川越市指定家庭保育園に認可
2015年 4月 小規模認可事業A型に認定 定員19名
園名を『たむら保育園』に改名
2017年 6月~11月 園舎建て替えのため、仮園舎にて保育実施
2017年 11月 合同会社コムニス設立 新園舎完成
2017年 12月 たむら保育園 新園舎に引っ越し

皆さまに伝えたい事
このたび、50周年を迎えられたこと
皆様にお祝いしていただき
何より、また成長して時が経って
お子様や、保護者の皆様にお会いできたこと
大変ありがたく、感謝でいっぱいです。

「子育てしながら泣くお母さんがいないように」
「子どもたちはとにかく丈夫な身体にしてあげたい」
そんな想いではじまりました。
実家が青森で遠く
仕事帰りに、幼子をおんぶして
よそのお宅の灯りを見ながら
何度もおばあちゃんがいてくれたら
と思いました。
女性が子育てしながら働くことは
本当に大変なことと思います。
そんな、お母さん達を支えたい
とずっと保育園を続けて参りました。
50年続けてこられたのは
保育を支えていただいた、保育士さんたち
そして大好きな仕事をするのに
巻き込んでしまった家族のおかげです。
本当にありがとうございました。

また、長男と結婚したばかりに
全く知らない保育園で園長をすることになった
お嫁さんの華子さん
本当に感謝しています。
明日が命日になります。
保育園立ち上げから支えてくれた
吉岡秀子さんとご家族にも
感謝申し上げます。
そのわたしには無い
底抜けのあかるさに
何度も救われました。

50年間
子供のころからやりたかった仕事を続けることが出来て
本当に幸せです。
また、長女とその娘さんをはじめ、
よその子ばかり見ないで自分の子をみてよ!
と泣いた 次女とその息子さんが
いまでは、保育園をしていることが
たいへん 嬉しく、ありがたいことだと
感謝しています。
ありがとうございました。


MADOKAから母へ
保育士とラジオパーソナリティをしている
MADOKAです。
元たむら保育園の園長、現在理事長道子の
4人の子供の末っ子になります。
このたびは、50周年おめでとうございます。
お集まりいただいた皆様、お祝いいただいた皆様
そして準備や当日動いてくださった
保育士さん達や保護者様
ほんとうに、ありがとうございました!
生まれた時から保育園で過ごし、
「常に保育のことで頭がいっぱい!」
まじめでまっすぐな母の背中を
ずっとみながら育ちました。
そんな母が、夕食の後
青森のリンゴの皮をむきながら
ゆるんだ表情が好きでした。
経営者は孤独なものよ
ひとりで決断しなければいけないことも多いし
最後の責任はわたしがとる
どんなにつらいこと、大変なことがあっても
次の日の朝は
変わらずそこにいる。
強い人だな~
と思う反面
与えるのは得意なのに
受け取り下手すぎる母を、
いつもそばにいて支えなくては
とも思っていました。
そんなわたしに、いつも
『大丈夫よ。』と答える母。
幼心に、
もっと認めてもらえる自分になるには
と常に
自分には何が出来るんだろう
と考えていました。
10周年、20周年、30周年、40周年
そして今回50周年
これだけのお子さんの成長に関わり、
これだけのお母さんたちの
道しるべ、支えとなってきた
母を尊敬しますし、
父と母の元に生まれて
保育園という働くご両親やおこさん
のいる、この環境で育ったことが
今の自分の原点となり、原動力であることに
感謝しています。
母とは違った道を選んだつもりが
『女性の笑顔』という
同じ想いで過ごしていたことに
親子って不思議とも思います。
今年の50周年の節目に
人生のストーリーと想いを遺す
ラジオをしていることが
本当にありがたく、
しあわせと思います。
ラジオの最後に
母がどうしても聞きたいといった
大人に成長した
卒園児たちの声も入っています
少し長くなりますが、ぜひ聴いてみてください。
このたびはこのような機会を
ありがとうございました。



パーソナリティ紹介
ホンマルラジオ笑顔で開運浅草局
笑顔で世界を満たそうプロジェクト
MADOKA

受付事務、保育士、日本語教師、漢字の寺子屋教室、をしてきて、
人の成長には「教える」のではなく
「信じて一緒にワクワクする」
一人一人の「良いところ」を見つけるのが得意です。
自撮りは自分を好きになる作業
お洒落は自分を大切にする作業
笑顔は周りも幸せにする作業
自分自身が普通の主婦から、
2024.9.1に【ホンマルラジオ笑顔で開運浅草局】を立ち上げました。

また、自宅にいる3人の子供たちと一緒に、
一年間で15匹の犬猫を里親さまにお届けした経験から、
人も動物も心が通じる瞬間!家族が出来る瞬間に何度も立ち会い、
この魂が震えるような感動体験は
ラジオで一人一人の人生のストーリーや想いに触れるときにも似ていて、
今度は、ラジオを通じてこの感動を広めたいと感じました。

世界平和を目指して、笑顔いっぱいのあたたかい世界を広げたい。
ワクワクすること心からあたたかくなること、毎日その時、
その瞬間にできることを大切しながら、
自分も大切にみんなも幸せになれることをしていきたいです。

皆さまに伝えたい事
一緒にラジオで笑顔を広める活動をしていく仲間を募集しています。
・ラジオゲスト出演したい
・ラジオパーソナリティになりたい
・公開ラジオ収録イベントを開催したい
・自分の事業や活動を世の中に発信したい
・楽しいことワクワクすることがしたい
・はじめてのことに挑戦してみたい
・自分を変えたい
・ご自身の夢を形にしたい
・たくさんのご縁で繋がりたい方
などなどお待ちしています。
お気軽にメッセンジャーにお問い合わせください!
| ゲスト名 | 川越小規模保育園 たむら保育園理事長 田村道子 さん |
|---|---|
| パーソナリティ | MADOKA |
| 公開日 | 2025/11/10 |
| 過去の放送一覧 | 〜笑顔で世界を満たそうプロジェクト〜☆ナビゲーターMADOKAの『笑顔で変わるSELLECTION』☆ |

